こころのみちの物語
山元町磯地区/震災から4年4ヶ月
「ここは生まれた土地なんだ。どこがいいって?そんなの理由はないんだ」
海沿いで福島県新地町との境に位置する、山元町 磯(いそ)地区。
漁師歴38年の猪又賢さん。今はヒラメやカレイが主にとれる。漁は休みで、磯浜漁港の一角でお会いできることになった。漁師の数は半減し、今は18人ほど。約140軒あった民家は、今は13軒に。「そこにも、あっちにも家があったんだ。酒屋、たばこ屋、雑貨屋もあったよ。」今は草むらや大きな水たまりになっている。
「お正月には元朝参りってやるんだ。近くの水神社にお参りして、観音堂に行くんだ。行ってみるか。」そう言って、水神社、観音堂と案内してもらうことに。水神社の境内には、蛇がとぐろを巻いた姿が刻まれた石碑が建っていた。水神社は海上安全、大漁満足を祈願する神社だ。観音堂は東北お遍路の巡礼地になっている「磯崎山公園」の上の方に再建されている。
「それから蛇塚もあるんだ。水神社のすぐ近くの沼にはその昔、大蛇がいて、それを祀った蛇塚があると昔、父親から聞いたんだ。」
観音堂の前を通り過ぎたところ、草むらをかきわけていかないとたどり着けない場所に、その蛇塚はあった。
「しばらくぶりだな」
そう言って手を合わせる猪又さん。私も横で一緒に手を合わせた。磯崎山公園には時々立ち寄っているのだが、ここで生活していた人、そして今も生活している人の声を聴いたのは初めてだ。ここには確かに暮らしがあったし、今もこうして暮らしている人がいる。暮らしがある。
「もうちょっとしたらあそこの草むしりやるんだ。その時はここを離れた人も戻ってくるよ」水神社のずっと向こうに見える山の中腹に、津波を免れた墓地が見えた。
何も知らなければ通りすぎてしまうかもしれない。そんな生活のヒトコマ、ヒトコマが確かにあったし、今もあるんだということを感じた。
山元町、そして東北お遍路の巡礼地にお越しの際には、猪又さんの話を思い出していただけたらと。そして巡礼地をめぐって感じられたことも合わせて、みなさんの大切な方々に語り継いでいただけたらと思います。
今日は震災から4年4ヶ月です。
【文責:一般社団法人 東北お遍路プロジェクト会員 遠藤恵子】