昔の名残をとどめている唯一の神事「野馬懸」が行われる場所。震災の年は場所を原町区に移しての開催であったが、翌年(平成23年度)にはこの場所で再開された。
◇こころのみちの物語「馬と共に生きる相馬地方の精神文化の要『相馬小高神社』」
福島県相馬地方の伝統行事相馬野馬追は、一千有余年の歴史を持つ国の重要無形民俗文化財だ。
震災原発事故の影響をまともに受けた地域の祭りであるが、相馬地方の精神文化を支える野馬追を何とか復活させ、復興の力となろうと、2011年7月には野馬追を執行。お行列のみで、メインの甲冑競馬も神旗争奪戦もない縮小版だったが、相馬の男たちの意地を見せた。ようやく2012年の祭りから、一連の行事ができるようになり、警戒区域の中にある南相馬市小高区の相馬小高神社でも野馬懸が可能になった。
実は、毎年夏の3日間繰り広げられる祭りのために、相馬地方では約400頭の馬が飼われている。ところが先の震災では、この馬たちも津波で溺れたり、あるいは警戒区域内で置き去りにされて餓えたりと、南相馬市だけでも約90頭の馬が死んだ。
震災直後から、知人が被災馬の世話に奮闘していたのを私は思い出す。獣医師の彼は世界一周の旅の途中、南米で震災を知った。かつてお世話になった福島に戻って何か手助けをしたいと、旅を途中に帰国。馬の治療をしながら、持ち主がいなくなった馬と、馬を失くした人を繋ぐ仕事をし、新しく縁組みされた馬たちを再び野馬追に出られるよう尽力した。
また先日新聞で報道されていた南相馬の元競走馬トーホウドリームの話も胸を打つ。01年、無敵を誇ったテイエムオペラオーを重賞レースで破った馬だ。03年に6歳で引退してからは南相馬市の佐藤家に引き取られ、毎年相馬野馬追に参加していた。ところが震災で佐藤家のある南相馬市小高区は警戒区域となり家族は避難生活、トーホウドリームは鏡石町の岩瀬牧場に預けられた。
毎月のように牧場に通う佐藤家ではあったが、避難のストレスからか現役時の半分まで痩せてしまったトーホウドリーム。13年の野馬追の時は、「これが最後」と送り出された。だが衣装をつけると顔が一変、気合いが乗った。そして数百騎の騎馬武者が神旗を奪い合う祭りのクライマックスでは、騎手を神旗に導く信じられない活躍だった。しかしこの4ヶ月後、トーホウドリームは自宅に戻ることなく息を引き取った。16歳だった。
佐藤家のように仮設住宅から野馬追に出陣する人々もまだ多いが、祭りの継承というだけに留まらない、馬と人々の独特の絆が相馬地方にはある。
今年は7月27日に相馬小高神社で野馬懸が執り行われる。騎馬武者が裸馬を小高神社境内に設けられた竹矢来に追込み、御小人と呼ばれる人たちが素手で捕え、小高神社に奉納する。この一連の行事が絵馬のルーツとされ、国の重要無形民俗文化財に指定されるきっかけとなった。
(文責:一般社団法人東北お遍路プロジェクト共同代表 新妻香織)