宮古市の南東に位置する重茂半島は、宮古湾を包み込むように立地し、津波常襲地帯としての歴史を物語るように、多くの記念碑、慰霊碑が重茂の各地区に建っている。
明治、昭和の二度に亘る三陸大津波によって甚大な被害を被った姉吉地区には、地域住民が建てた「大津波記念碑」がある。碑文には、「明治廿九年にも昭和八年にも津波は此処まで来て部落は全滅し生存者僅かに前は二人後に四人のみ幾歳経るとも要心あれ」と標され、更に「高き住居は児孫の和楽想え惨禍の大津波此処より下に家を建てるな」と標されている。
東日本大震災による大津波は、姉吉漁港がある入り江から集落へ続く川や道沿いに陸側の奥深くまで流れ込み、大津波記念碑の手前50メートルのところで止まった。先人の教えを守り、山の中腹に家を建てた姉吉地区は、家屋の被害が全くなく、その事実が報道によって広められ、津波記念碑の存在が改めて見直されるきっかけとなった。