1896(明治29)年、1933(昭和8)年の二度に亘る三陸大津波で壊滅的な被害を受けた田老地区では、昭和9年から昭和53年まで、44年の歳月をかけて長大な防潮堤が整備された。高さ10メートル、総延長2,433メートルに及ぶ陸側、海側の二重防潮堤は「万里の長城」と呼ばれ防災のシンボルとなったが、東日本大震災による津波はこの防潮堤を超え、田老地区に再び甚大な被害をもたらした。
壊滅を免れた陸側防潮堤は地盤沈下分を嵩上げして原形復旧され、宮古市の要請を受けて、岩手県はそれを震災遺構に認定した。市では、倒壊した防潮堤に代わって新たに整備が進む海側防潮堤と併せて、「田老の防潮堤」を『学ぶ防災』の拠点と位置付け、“語り伝えるべき施設”として来訪者へのガイドに努めている。